待ちに待った、福の神茶事が近づいて来た。 京都の数寄者中田さんの前厄祓いの茶事だ。 どんな道具組みで迎えてくださるのか今からドキドキワクワクしている。 だからという訳ではないが、今日訪れた神田明神は江戸の総鎮守として鎮座する銭形平次でもおなじみの由緒ある神社だ。 御茶ノ水の高台にかなり広い敷地に立地している。 祀られているは大黒天、恵比寿さん、もう一つ忘れてしまったが、茶事の無事を祈るにはもってこいの祈願所となった。 神様はどこから来るのか、の質問に??? 柏手を打ち、神様の降臨を促すと、神様は空から降りて寺社の東側の扉から入って来られるそうだ。私たちの願いをお聞きになると、裏のお休み所で休まれた後、また天へ戻られるとか。 柏手で呼ばれるとその都度 降りて来られるということで なんともお忙しいことである。 今回の福の神様大黒天へ茶事の無事を祈って来た。 そのまま、湯島天満宮まで足を伸ばす。 ちょうど受験の最中のせいか、絵馬が山のように奉納されていた。昨日が天神さんの日で日曜だったので詣で客は日きりなしだったことが想像される。 庭の梅園は 三分から五分咲きの紅白梅が芳しい香りを放って、メジロらしき小鳥が忙しく蜜を求めて 飛び交っていた。 ここの寺社は出雲系の寺社とのことで 千木が天を刺しているのがその証拠だそうだ。 天満宮、神宮、と宮のつく寺社は怨念がこもった魂を鎮める所ということで何かおどろおどろしい。 確かに道真の恨み、怒りを鎮めるための社が天満宮であるから、合格祈願をするのは本来はおかしいのかもしれない。 それよりも、ひふみのよ いつむななや このとう と唱えて魂を鎮める方が向いているのではないかと思う。数霊というそうだ。 アメノウズメのみことがストリップで 天照大御神を天岩戸から引っ張り出したのもこれらしい。 おまじない、死の世界から、黄泉がえりの呪文だったとは 面白い話だった。
寒さも三寒四温 関東より陽射しが暖かく感じる 旧知の友人の好意に甘えて14年ぶりに奈良へやって来た 予定していた、信楽の知り合いの登り窯の見学が延期となり、美保美術館も休館 半日を奈良街の骨董屋、古着屋で宝物探し、お水取りの準備が着々と進んでいるという、萬々堂にも美しいのりこぼしが出来ていた、 昔この菓子を買って、茶事ごっこの主菓子にしたことを思い出した。 茶の湯というにはまだ程遠いが村田珠光ここで茶禅一味に目覚めた寺に寄ってきた 称名寺という古刹 利休の師であった武野紹鴎もここに通ったのだろうか 翌日は朝から佐川美術館を目指して近江路へ おうみんち(近江のおうちという意味)道の駅で野菜バイキングのランチで腹ごしらえ 佐川美術館へ向かう。 美しい外観の建物、お目当は楽吉左門さんがご自分の焼かれた茶道具がしっくりと合う茶室ということで設計された茶室 守破離 アフリカの石と古いバリの木材、ユニークな水に浮かぶ茶室は大胆で無機質な材料なのに意識は繊細で不思議な安らぎを感じる空間だった 前に訪れた根府川の杉本博司さんにも通じるものを感じた
知らない土地はまだまだ沢山ある 葛飾の柴又もその一つ、叔母がいる事を理由に訪ねて見た。 まず駅を降り立つと寅さんが出迎えてくれたと思ったが、その視線をたどると妹のさくらが寅さんを見送っている 実寸大の銅像とのことだが、以外と小柄なさくらであった。 寅さんの代わりに叔母がボランティアの方と待っていてくれて、歴史散歩が始まる。 葛飾の歴史は、律令時代に遡るというし、さらに古墳時代の遺跡も発掘され八幡社が前方後円墳の上に建っている。そこからの出土品に帽子を被った埴輪があり 寅さん埴輪と呼ばれているそうだが、恐らく渡来人 朝鮮から来た人であろう。 それを、渥美清さんの命日に出土したというところが面白い。 正倉院に残る、戸籍の木簡に、嶋俣里のなにがしトラ、さくら女というものが見つかったそうだ。 勢いづいて、寅とサクラの謂れと思いきや、これが発見されたのは映画作品が世に出てからだいぶ経った後で、山田洋次監督もびっくり、偶然というにはあまりの啓示に何かを感じたことだろう。 グルリと駅を回って戻りメイン通りの参道を歩く。 寅さんの舞台となった草だんご屋さん、昔からの老舗の川魚料理屋、せんべいや、など参道らしく賑やかに客を呼んでいた。 この通りと街の一部が無形文化的景観に選ばれたそうで、これから勝手に修理もできないなど、大変だろうなと思ってしまう。 参道の行き着いたところに帝釈天がある。日蓮宗の古刹、題経寺が寺の名前だが、帝釈天の方が通りが良い。 山門から度肝を抜かれた。彫刻があちこちに施された姿は圧巻。日光の東照宮の陽明門がモデルと言われている。 境内に入ると、右に一番古い建物があり、真ん中が本堂とその奥に拝殿が続く、左が 帝釈堂で帝釈天が祀られた建物、 総欅造りで内陣、外壁に欅板に施された彫刻が素晴らしい。 時代的には大正、昭和のものだが、信者の寄進というから驚く。前庭の臥龍の松は枝を三方に広げ、毎年根回りを掘り起こしお神酒を100本以上も飲ませるそうだ。 松が植えられたのも、近くに清水が湧き出たのでそこに植えたと伝えられ、井戸も現存している。 波の彫刻は北斎の神奈川沖浪裏にインスピレーションを与えたと言われている。 外に出て、山本邸まで歩く。 大震災後に、建てられた和洋折衷の建築物、昔の金持ちの生活ぶりがうかがえる。庭には、雪国に見られる松の雪吊りがしてあり、風情のある眺め、今年は 役に立ったのではないかと思われる、 散歩の最後にお菓子とお茶で一服。約2時間の散歩道。 外に出ると矢切の渡しも見られた。