人との出会いと別れは人生につきもの、天国へ旅立ち別れたひと、第二の人生を始めるために第一歩を踏出した人、病魔と戦い生死の境目から生還した人、先週から人生の色々な場面に出くわしましました。
肩をすれ違って行き交うよりもっと濃い感情を持って人と触れ合って行く、どこにいても心のどこかで引っかかるそんな繋がりを持って、それぞれの場所でそれぞれの人生を歩んでいます。
今、京都から茶室の襖の張替えに墨仙堂の関地さんが我が家で作業をしています。一週間の予定で到着したその日から仕事の準備をし,翌日には時差ぼけを克服して作業が始まりました。
ここでの仕事が終わると、ロサンゼルスカウンティーミュージアムの日本館で購入した円山応挙の群鶴図屏風の応急修復処置をされてから日本へ戻られます。
このような国宝級の美術品修復を手掛ける方に茶室の修理をして頂けるのも、茶室が結んだ不思議なご縁です。
我々の茶室は人を繋ぐ縁結びの神が宿っているのかもしれません。
色々の方の話を聞くと茶室を通して運命の分かれ目のような出会いが起きているからです。
初めて日本から送られた理由も友好の証でした。1949年、太平洋戦争のあとです。
何故,茶室だったのか、そこを知りたいのですが、探る手だてが非常に少ないのです。
わかっているのは清水仁三郎の設計ということ、京都数寄屋師堀せいと残されていますが、今では存在していません。
解体した時の襖の下ばりの反古紙はおそらく昭和10年頃、東京のとある大きな病院の院長らしき人の執事の日記が使われていました。歴史に出てくる人物の名前が見え隠れし,その時代の様子を垣間みるタイムスリップのような日記です。
おそらく物があまり無い時代だったのだと思います。
関地さん曰く、外から見たら同じように見えても,見えない内側をきちんとすることで後世に仕事の足跡を残す、そんな仕事を残していきたいと。
糊の炊き方から、刷毛の使い方、行程を見ていると日本の伝統の職人技が如何に緻密で、見えない所にまで気を配っている事がよく見えます。
こういった伝統技術は一朝一夕にはできない,現場で何度も経験して初めて習得できる非常に感覚的な伝承だと思います。若い次世代の職人たちに是非伝えて、また彼らもしっかり習得して技術を繋いでいって欲しいと思います。