今年の日本の夏は受難続きの毎日でしたね。
各所で連日40度を超す日々が続き、日本が焼き尽くされるのでないかと心配しました。
暑さもひと段落したところで、今度は今まで起きたことがないような台風の被害、これから我々が進む日々はこれらのことが頻繁に起こるということを頭に置いて生活せねばなりません。
我々の孫たちが私の年齢になった時には一体どのような環境で生きているのでしょう。
彼らが身に受けている状況は全て我々が彼らに残した負の遺産を背負っていることなのでしょうか。
これからの世界が地球上に生を受けて生きるものたちにとって生き続けられるよう祈るばかりです。
さて、受難の日々と始めましたが、実はパッションフルーツの花が咲き始めたことをFBに投稿してから、人生の先輩からキリストに纏わる花だとコメントを頂き、改めて考えてみました。
確かに不思議な名前であることは感じていましたが、ご指摘を受け、なるほど パッションとは我々音楽家からすれば すぐにバッハの宗教曲 マタイ受難曲、ヨハネ受難曲が思い出されます。
パッションの意味が情熱と訳されるよりも、語源に ”苦しむ”ー”Pass” があることを知りました。
この花を初めて見た人がこの花に十字架を見、いばらの冠を見、打ちつける釘を見たことは本当にショッキングなことと同時に、奇跡のように思ったのではないかと想像します。
美しい花が秘めた、メッセージだったのかもしれません。
さて、夏が終わる頃になるとどういう訳か物思いに耽り、やり残したことなどつらつら考えてしまいます。
刹那を生きる我々に与えられた、自分と向き合える時間なのでしょう。
時計草の他にも、ホトトギス、貴船菊など咲き出しました。
いくら暑くても、水が不足しても健気な花たちはちゃんと時間の流れを忘れていません。
これから、秋を迎え、冬の準備が始まりますが、日々精一杯生きていくことに努めます。