今年も関地久治さん幸子さんご夫妻がサンタバーバラを尋ねて下さいました。 久治さんは、ロサンゼルス郡立美術館の日本館の屏風、絵画など収蔵品,展示品を修復されるお仕事で,毎年この時期に京都からいらっしゃいます。 今回はお弟子さんを2名を伴って、秋に開かれる 「サムライ展」へ出展の大きな源平合戦屏風へのお手入れの為とのことでした。 ロサンゼルスでのお仕事を終え、サンタバーバラでは、幸子さんが上梓をされる「去風流いけばな・父の思いで」の最終校正が行われ、いよいよ 満を持して今年中に出版の運びとなります。 さて、去風流とは聞き慣れないいけばな流派ですが、少し、調べたところをお伝え致します。 去風流とは江戸中期以来(1652年~1655年)、尺八の名手として号を去風と称した 西川清治により起こされた町人花の諸流の一つと言われています。 茶をたしなみ、尺八を愛した風流人の米穀商として、茶席に入れる花をあしらったのが始まりだそうです。 その7代目西川一草亭(本名西川源次郎、明治41年生まれ)。により流派は隆盛を極めます。 幸子さんのおじいさまですね。 幼少の頃から、四条派の画家竹川友広のもとで絵画を学び、漢学者山本章夫から漢文と本草学も学びます。 禅にも興味を持ち、建仁時の黙雷禅師や天龍寺の峨山和尚のもとに通っていました。 花を教え始めたのは二十七歳の頃で、その頃は今のお宅がある修学院離宮の近くでお花の栽培も手掛けられ、庭に咲く花々による、自然流の花を愛する花道家でした。 彼の周りには、多数の高級文化人・知識人、芸術家たちの取り巻きがいて 高踏な雰囲気がみなぎっていました。 浅井忠、幸田露伴、夏目漱石、高安月郊、長谷川如是閑なども彼のいけばなサロンの常連だったそうです。 現在は孫の一燈氏が本家を継がれているようですが、同じく 孫である幸子さんは、五島去風流家元として、お父様の跡を継ぎ文化を伝えていらっしゃいます。