やっと秋の気配が感じられる頃となりました。 来月の炉開きの前にお稽古は中置き 中置きは、お稽古では10月の季節の変わり目に行われていますが、台子の一つ置きが基となり本来は季節を問わないと伺っています。が、五行棚の点前は玄々斎のご考案になられた点前として自然の森羅万象を棚の中に取り込んだ点前で、陽に転じる極詫びの季節に五行、八卦の思想を考える点前であると思っています。 四畳半の茶室と同様に宇宙を小棚に取り込んだ壮大な茶の湯の世界の広がりをこの棚に見る事が出来ると思います。 悲しいかなウンチクは持ち合わせないので、季節を楽しむ点前としてお稽古をしています。 濃茶点前の中で、仕覆を置く手を左で天板の左角に置くとテキストで指導されているのを 何故だろうとずっと考えていましたが、改めて読み返した、金澤宗也業躰先生の実践講座に、以下のことが書かれていて、なるほど、台子が根本に考えられているからかと、なんだか勝手に納得しております。 今年は日本中が様々な悪天候に振り回された年でしたが、これ以上の異変が起きませんよう、炉を開く事ができますよう、火伏せの神様にお願いしておきましょう。
今日は恒例のシティーカレッジの日本語クラスの生徒さんたちへ茶道の紹介 というより、茶道を通して日本の文化、言葉も合わせて紹介する催しです。 今年は茶箱で和敬点前の歴史から、今の世界の平和を考えると言うことをテーマに行いました。 彼らに話をした要約です。 70年以上も前、鵬雲斎大宗匠様が若かりし頃に話は遡ります。 海軍の航空飛行隊予備学生として招集された時のことです。 父である、14代家元淡々斎が息子の出征時に渡したのがこの茶箱です。 この茶箱で、出征する仲間に茶を点ててああげる事が茶人としてできる餞と考えられたのでしょう。 大宗匠様は訓練の合間、または特攻として明日帰る事がない飛行業務に就く同僚たちのために茶を点てて送り出したそうです。 何故なら、昔の侍たちも戦さ場に必ず茶会を行い、心を鎮め明日の命もままならない自分と向き合ってきた歴史があるからです。 戦争が終わり家に無事に帰る事ができた大宗匠様は茶人としてお茶を通して平和を伝えることをご自分のこれからの道と考えられたと思われます。 まず、ハワイから彼の茶道行脚は始まりました。 サンフランシスコで日米講和条約締結の折に海外で初めて茶を点て献じられたのです。 以来、世界中に赴かれ、一碗からピースフルネスの想いを伝えるべく、茶碗を地球儀に見立て、両手で茶碗を持つ茶道の作法の中に世界が手をつなぐことを提唱されてきました。 沖縄の激戦地、バチカン、国連、米国コングレス会議などの献茶式に臨まれました。 なかでも、65年の歳月の末に2011年パールハーバー アリゾナ記念博物館での献茶式は歴史的は行事となりました。 私も末席に臨席を許されましたが、祈りの中、静かに英霊に点じられた一碗の茶を大宗匠様自らが捧げられるお姿に感動のほか言葉では言い尽くせない、大きなものに包まれた感覚を覚えたものです。 長く続いた複雑な想いが日米双方からスーッと歩み寄り融合されたように感じました。 彼は今年94歳なりますが、まだまだ彼のミッションは続いています。私たちも一碗を通して世界が平和で繋がっていく事をお茶をするものの使命として活動を続けています。 戦時中に陣中点前と言われた和敬点前ですが、今は字のごとくハーモニーとお互いの尊敬を持ってお互いが接する茶の心に結びついています。 お茶はただ湯を沸かし茶を点て飲む事ですが、そこで集う共有の時間が連帯を生み、お互いを考えるきっかけとなると良いと思います。